不登校について



<実はヒロは不登校だった>

私、マッチョさん(夫です〜)、ヒロの3人家族。

中学2年から、高校3年まで、
ヒロは学校へ殆ど行ってない。

ただ私立中学だったからこそ、
高校にも進学出来た。

補習の授業を受け、保健室で自習や定期テスト。
家にいる間には、何度も担任が来てくれた。

本当の先生、って、
こういう人のことを言うんだ。

とても有り難かったし、そして、感謝しかない。

現在、ヒロは大学を卒業して、都内のIT企業に就職。
社会人2年生。

彼の心のキズも癒された頃なので、
不登校についての記事を書こうと思いました。

今、学校へ行けない子供たちが多い。
悩んでいる御両親に、少しでも参考になれば、
と思って、その頃の事を少し綴ってみました。


その頃の私の日記。
毎日のように「ヒロ、学校へ行かなかった。」と。

<不登校の始まり>

始まりは、些細な事から。

朝から、「頭痛い。」と、ヒロが言う。
熱を測ると、必ず微熱あり。

風邪かな〜と、休ませた。
お昼頃には、熱も下がって元気になっている。

また次の日、微熱、もしくは腹痛で休む。
次第に休む日数が、長くなってくる。

この頃からヒロに笑顔がなくなってくる。
そして、学校の事、友達の事を話さなくなる。


体の不調や口数が少なくなるのは、
不登校の始まりだった。

この時、気づいていれば・・・
と、今になって、とても悔やむ・・・。

そんな日々が続いていた所、
ヒロが部活に行ってないことに気がつく。

マッチョさんが、自転車で出たヒロの後を
車でこっそり追っていた。

行き先は、コンビニだった。

マッチョさんも仕事があり、
その後、ヒロの行方は分からなかった。

でも、部活が終わる時間には、
必ず家に帰ってくる。

<毎朝が戦いの日々>

「学校へ行け!」と、怒鳴り声。

毎朝、マッチョさんは無理矢理、
制服を着せ(というより肩にかけたまま)、
裸足の彼を引きずって、アパートの階段を下り、
私の車に乗せた。

ひどい時には、ヒロの顔にビンタ。
更にビンタビンタ・・・。

殴られて、痛かっただろう。ヒロ。
割り込む私にも怒鳴り声。

もう近所の目なんて、気にしていられない。
とても、辛かった。

ヒロの靴を車の窓から、投げ入れる。
「早く行って!」と、
マッチョさんの険しい表情。
これも忘れられない。

これが、毎日のように続く。

昭和生まれの私達、親にとっては、
<不登校>というもの自体、未知のものだった。

<ズル休み>の方が、まだ気が楽だった。

マッチョさんも辛かっただろう。
ヒロを殴りながら、自分の胸もとても痛かったよね。

学校へ着いても、
なかなか車から降りないヒロ。

学校まで乗せて行っては、また家に帰る、の繰り返し。

今日こそは、と思い、私は担任に連絡した。

先生は、すぐに車まで来てくれて、
「よし、ヒロ行くぞ!」って。

降りようとしないヒロの手を引いて、
ヒロを引きずるように、校舎の方へ歩いて行った。

破れた制服で、足も靴下も履いていないまま・・・

車のバックミラーに映る・・・
先生より体の大きいヒロが、幼稚園児のように
先生に手を引かれて行く後ろ姿。

涙があふれてきた。

なんで?なんで?
こうなったんだろう・・・

あまりにも悲しく、悔しく、情けなく・・・
職場近くのコンビニの駐車場に
車を止めて、思いっきり泣いた。

ひとしきり泣いたら、もう昼になっていた。
今日の朝の戦いは、長かった。
今の状態じゃ、仕事できない。
初めて、「お休みします。」と、職場に連絡を入れた。

職場にも、ずいぶん、迷惑をかけていた。

無理矢理着せていた制服のシャツ。
何枚、破けただろう。

この頃、この朝の戦いは、
もう日課になっていた。

<ヒロ死なないで>

私は仕事の昼休みに、
毎日ヒロの様子を見に自宅へ戻っていた。

ヒロが一人で家にいるのが心配だった。
ベランダから飛び降りて、死んでしまうんじゃないか、
という不安。

まあ部屋は2階だから、飛び降りても骨折。
でも、アパートは5階まであるんだから、
上まで行ったら・・・と、不安だらけだった。

昼休みの限られた時間。
仕事着から着替えて、車で帰っても、
ほんの10分そこそこしか家にいられないけど・・・。

それでも、ヒロの顔を見るまでは、
と言う気持ちだけだった。

ある時、ヒロが言った。
「なんで昼、帰ってくるの?」って。

え?え?
親の気持ち
子知らず!?

私は思いをぶちまけた。
「ヒロが死んでんじゃないかと思って。」

ヒロは、ビックリしたような顔で、
「俺は死んだりせん。」と、言った。

その言葉を聞いた時、
「絶対ねっ!信じるからねっ。」

それから、お昼休みは自宅へは戻らなかった。
ヒロの言葉を信じて。

<不登校の中の辛い修学旅行>

楽しい楽しい修学旅行のはず。
でもその頃のヒロには、とても苦痛だったろう。

「キャンセル料は高いから、行きなさい!」と、
私はヒロにプレッシャーをかけた。

優しいヒロは、私の言葉に従った。

ヒロの不登校は続いていた中、
修学旅行の写真の注文あってるよ〜と
ママ友から連絡。

ちょっと見に行ってみた。

だけど・・・
修学旅行の写真・・・
ヒロの笑顔の写真が1枚もない。


なんで、気づかなかったんだろう。
あれほど、ヒロは、
行きたくなかったのに、
私は無理に行かせたんだろう。

だんだん笑顔がなくなってるのに
気がつかなかったなんて。

大事な我が子を、
地獄に突き落としてるのは、この私だ。


この時、張り詰めていた糸が
プツン!と切れた。

<学校は行かなくていい>

頑固なヒロは、引きずっても
テコでも動かない。

もう、無理に行かせるのはやめよう。
そう決めたら、なんだか心が軽くなった。

行かないと決めてから、家庭も明るくなった。

私もマッチョさんも仕事。
ヒロは家にいる。

毎日毎日、ゲームをしていたヒロも
そろそろ飽きる頃。

これは、家の事を
やっていただきましょうよ〜!

掃除に洗濯、ご飯の支度・・・
と言っても、すぐやれるお利口さんではない。

なので、私も考えた。

「帰りが遅くなるから、お米だけ炊いてて〜。」
とか、
「雨が降りそうだから、洗濯物取りこんで〜。」
とか。

まずは、小さい事から。

学校行かなくても、ひとりで生活が出来るよう
訓練なのだ。リハビリ。

あとは、コミュニケーション。
社会に出ると人との関わりは、イヤでもついてまわる。

ヒロが昼間、友達に会うのがイヤなら、
夜中に行こうぜ?!
おお!深夜族!

ワザとヒロを買い物に付き合わせる。
夜だったら、外に出てくれる。

夜中、24時間スーパーに行き、
大量のジュースやビールをダース買い。

「重くて持てない〜。」と、言うと、
力が強いヒロは、軽々持ってくれる。

そして、
「お醤油買い忘れた。○○のお醤油買って来て。」と、
ワザと店員さんに聞かなければ分からないようなものを、
追加で買って来てもらう。

これは、少しでも、外の人と、
会話してほしかったから。

外の空気に触れてほしかったから。

また、夜中のカラオケもそう。
大声を出すと、心の闇も軽くなる。

いつの間にか、音痴も治る。
それどころか、かなり歌も上手くなる。
店員さんとも顔馴染みになる。

夜中のファミレスも。
夜食しよう〜!とヒロを連れ出したこともあった。

そして、パソコンも自由に使わせた。
世間で起こっている事、
政治、経済、事件・・・SNSでも、なんでも、
いろんな事を吸収してほしかった。

リビングの延長沿いに
ヒロの机を置いてたのは良かった。

キッチンにいる時も、
テレビを見る時も、
ヒロの姿がよく分かるから。

もし、鍵付きの子供部屋を作っていたら、
引きこもって出てこなかっただろう。

<GACKTさんの生き方に共感>

その頃から、
GACKTさんの曲を多く聴くようになっていた。

日本の音楽は、
頑張れ!頑張れ!の応援ソングが多い中、

GACKTさんの曲は、
暗闇で、どん底で、もがき苦しめ〜
のような曲が多い。

不登校中のヒロにピッタリだった。

<Dears>とか<ever>とか・・・
まさに、今のヒロじゃん!?

生き方にも共感。
どんなに世間でバッシング受けても、
堂々としているGACKTさんは素晴らしい。

ヒロの人生のかけがえのない人となった。

彼の福岡での舞台、ヒロも誘ったが、
その頃は不登校真っ只中、
外に出るのも嫌がっていたから、
私一人で行った。

次の年のライブは、
ヒロが自分から行きたい!と言った。
福岡。

その次の東京での舞台も、
二人で見に行った。

学校へ行ってない分、
楽しい思いをたくさんさせてあげたかった。

学校の心配しなくていいから、
飛行機やライブのチケットも取りやすいし。
不登校バンザイ〜!

<不登校の原因>
原因は部活だった。
部活へ行くふりをして、
コンビニをはじめ、
いろんなとこで、時間を潰してたんだろう。

この時、気がついていれば、
そんな小細工しなくても、
家でゆっくりできたのに。

中学生のヒロは、
その頃、毎日が、心がいっぱい。
精一杯だったんだね・・・。

部活を辞めてから少しずつ、
学校へ行く日の方が多くなった。

<自分で決めてきた進路>

高校3年の夏、
「オレ、この大学行きたい。」と
ヒロが照れくさそうに、大学の資料を見せた。

東京の大学!?
えぇ〜っ!!!

「なんで?東京?」と聞くと、
「GACKTになりたい。」とマジ顔で言った。笑。

でも、学校行ってないから、
勉強してないのに、
大学なんて行けるの〜!?

と、思った所、コレが私立の強み。
指定校というものがあり、
レベルに合った大学もあるらしい。

マッチョさんは、とても反対したけど、
私は、賛成だった。

羽ばたいてほしかった。
ヒロに、
自由に生きてほしかった。

中学や高校で、辛い思いした分、
思いっきり、青春を謳歌してほしかった。

東京。
熊本から遠いなぁ〜。

<旅立つ日>

桜が満開の朝、近くの神社にお参り。
桜をバックに写真撮ったね。

私もマッチョさんも、
もちろんヒロも、
笑顔の写真。

不登校だった頃には、こういう日が来るとは思いもしなかった。
嬉しさと寂しさ。

この笑顔が、
いつまでも続いてほしいと願うばかり。

<不登校を経験して思ったこと>

ヒロが不登校になってから、気づいた事。
良かった事、こうした方が良かった事などを少し。

子供の居場所をつくること

学校が嫌いでも、家がいちばん、と思わせること。
なので、無理に学校へ行かせないで下さい。

「家にいて、いいんだよ。」
「辛い時は、泣いてもいいんだよ。」
と、話をする。

居場所がある、話を聞いてくれる、
これだけでも、子供は安心します。

辛い学校へ、無理やり行かせようとするのは、
可愛い子供を地獄に落とすようなことです。

親は親、子は子

はっきり言って、
親の夢や希望を押し付けてはいけません。

子供の人生に、親は入れません。

少しだけ、背中を押して、
そばで見守ってあげることだけです。

スキンシップは大きくなっても大事

幼稚園児じゃないから、と思いでしょうが、
会話のスキンシップが思春期には大事なのです。

例えば、ヒロの場合、
好きなゲームや音楽の話をしたり、
同じ時間を共有すること。

それが、くだらないものでも、
少しだけ、付き合ってあげることです。

子供部屋は作らない

個室を作ってしまうと、顔が見えない分、
何をしているか、不安になりますね。

私の場合、リビングの隣の部屋に
ヒロの勉強机やタンスなどを置きました。

戸はありますが、ほとんど開けてます。
勉強机に座っていても、リビングのテレビが
見られるようにしています。

リビングのテーブルも、食卓の他、
ヒロの勉強、マッチョさんの書類類、
私の趣味の針仕事など、共有して使っていました。

ヒロが勉強していても、リビングでは、
テレビや音楽、ラジオの音がいつも
流れていました。

食事は、出来るだけ一緒に

仕事をしていると、一緒に食事も一苦労。
だけど、この時間も大事なのです。

しっかり食べているか、それだけでも、
いつもと違っていたら、親なら分かります。

思春期では、なかなか言えませんが・・・
「ごちそうさま。」「いただきます。」
の挨拶も大事です。

「おはよう。」の挨拶も同じで、
チラ見でいいので、顔を見ながら。

思春期なので、返答はなくても、いいんです。

家にいる間にやること

学校へ行かないと、その分、時間はたっぷりあります。

はじめは、好きなゲームも良いでしょう。
本人の好きな事をたっぷり出来る時間です。

だけど、守ってほしいのは、規則正しい生活。

朝起きて、夜寝る。
食事は、食卓で一緒に食べる。
お風呂に入る。

普通の事ですが、不登校や引きこもりが長引くと、
それすら出来なくなります。

家の事も少しずつ、手伝ってもらいましょう。
掃除、洗濯、食事の用意など、家事一般。

親の方が早く死にます。
なので、1人でも生きていけるように、
学校へ行かなくても、生きていくためのリハビリです。

まわりに不登校を公表

不登校を隠しておいても、辛いだけです。

なので、私は職場や友人に
「うちの子、学校行かないのよ〜。」と
公表してました。

興味本位で聞いてくる人もいれば、
親身になって聞いてくれる人もいます。

私の場合、誰かに話すことで
とても気持ちが楽になりました。

生まれた時の事を思い出して

ヒロが生まれたとき、
元気でさえいてくれたら、それでいい、
と、思いました。

命がいちばん大事!

子供の命を守るのは、親だけなのです。

<ヒロから不登校中の君へメッセージ>

この記事を書くことに決めた時、
ヒロからメッセージが届きました。
↓↓

<不登校になったきっかけや当時の考え>

一言で言うと交友関係。
気の合う人がいなかった。
それだけなら問題なかったが、私立中学の人間はなぜか
プライドが高く面白くない人間が多い。

それが如実に出るのが会話だ。
マウントの取り合い。

それを内輪ネタとしてふざけてやってるのであれば、
個人的には楽しいのだが、
ガチでマウントを取ってくる人間が、
僕の関わった人間の中では少なくとも9割はいた。

中学受験を勝ち抜いたのが、
よほど自信になったのかは知らないが、
僕にとって絶対になりたくない人種が、
その学校という世界では大多数だった。

これは僕の中学に限らない。

知り合いにも僕と別の私立中学に通っていた人がいたが、
全く同じ事を言っていた。

実際、僕がエスカレーター式で上がった高校では、
他校から入学した人達は入学早々、
調子に乗っている内部受験組の人間の事が嫌いな人が多かった。

だが、集団心理とは怖いものでそういうプライドが高く
マウントを取るような人間に染まっていく人もまた多かった。

そこで唯一の救いがあったとすれば、そこに染まらず
「ただふざけて楽しむ」人間と仲良くなったこと。

これがなかったら、僕は高校を卒業できなかったかもしれない。
まあ母体が多くなった事で、
少数派が少し増える事になるのは当然のことだが。

<同じ境遇の人に伝えたいこと>

そこの環境は自分が思っている以上に小さい事。

引越しをして県外に出てみると、自分が属する集団が変わり
全然タイプの違う人に巡り会うこともある。

実際、都内の大学に行ったが、
周りの人間が良い人に見えることが多かった。

今考えれば「普通の大人」なだけだったのだが、
当時は周りに嫌な人間が多くいたせいか感覚が麻痺していたと思う。

逃げたかったら迷わず逃げるべき。

逃げ癖が付いてしまう事もあるし、
一般的に逃げてはいけない場面もあるが、
心身ともにボロボロになるぐらいなら、ストレスから逃げて
自分の好きな事に専念したり、
好きな分野でお金を稼いで生きていくことを考えてみる。

不登校で卒業できなくても、高卒認定試験はあるし
家で勉強すれば高卒の資格を得るのは不可能ではないと思う。

人間関係において損切りは大事。
いつか良くなるだろうと、相手に優しさを持って接しても
ただ時間を奪われる事が多い。

以上

2021年1月


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